手作りドレスで社交ダンス


      

  私とダンスのこと

     

  ダンス

               に関わった経緯
  
  私がダンスの世界(グループレッスン)に入ったのが1982年で長男、長女が

 大学生、末子の次男が高校生でした。

 仕事はしていましたけれど、ボツボツ
自分の為にも時間を使いたいと思う

 様になっていました。 


 いろいろ検討した結果、元町の読売文化センターが適していると思ったのです

 が、
さて!何を学ぶか?
 文学歴史コースでも行くか!と思ったりもしました。

 ですが今からする事は趣味なんだら、趣味だと
本当に好きなことでないと…

 と子供の頃から憧れていた
社交ダンスのコースに行く事に決定しました。


 子供達も賛成してくれて、講座申し込みを長男が行って、手続きをしてくれた

 のです。



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孫達のファッションショー  

手持ちドレスの再利用  

リフォームしたドレス

リフォームドレスをタンゴ用に
   
ドレス作成の準備     

初めて作ったドレス
 
  

第2作目のドレス工程

   
シニア向きに
  

作成反省

第3作目のドレス工程その① 

第3作目のドレス工程その② 

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  その時は社交ダンス6ヶ月もすれば覚えてしまって、する事が無くなるのではない か?

 思っていたのですよ。 

 
それが、なんの!なんの~   もう25年!まだ卒業出来ないのです。
 

  土曜の夜はカレーか、おでんか、チーンの食事ばっかり!と嘆いていた

 子供達も皆大学を卒業して結婚
し、それぞれ2人ずつの孫も生まれ

 ました。その孫も高校2年の歳になっています。
でも~私は、いまだに

 踊っているのです。
                     
  少女の頃
先ほど
子供の頃から憧れていた社交ダンス

書きましたが、私の少女時代は、本当に


夢見る夢子
でした。

 

 シニアの方だったらご存じと思いますが、中原淳一
ひまわりそれいゆ大ファンでした。

 発売日には、父の帰りを胸をときめかせて待ったものです。 

 お嫁に行く時、バックナンバー全部持って行きたかった程ですが、それも成らず泣く泣く置いて

 行きました。 


 
今でも思い出します!  淳一画くシルエットの王子様とお姫様の踊っているシーン。


  私も何時の日か、王子様の腕に抱かれて踊ってみたい!それが大人になっても続いていたのですね。

 
何時の日か上手になって、王子様の様な男性と、夢の様に踊れるようになりたい!

 それを求め求めて25年過ぎてしまったのでしょうか?


      

       
    
    読売文化センターの頃              


  読売文化センターには震災まで12年行っていました。
    
 あの頃は
楽しかったぁ~!色んな人との出会いがあって…。

 その頃の人とは今でも付き合っています。 アフターダンスは毎週何処かに15.6人で行き、

 2次会は踊れる所に行くかスナックに行き、どんな
小さなスペースででも踊って
いました。 

   
  教室でパーティを計画したり、新年会、忘年会、旅行と計画

 して楽しみました。

     
  なんたって12年ですからね。

 小学校に入って高校を卒業する年月を殆ど同じ人達と土曜日

 の夜は一緒に過ごしたのです。

 
   
      
 ダンスを始めた直後
1982.11

     森原教室の頃


  実は読売文化センターを辞める2年程前から、森原教室に個人レッスンに行っていました。

 グループレッスンの愉しさは愉しさとして、所詮はグループレッスン。

 もっと本格的にダンスを身につけたいと思ったからなのです。


 不幸にも神戸に大きな震災があり、読売文化センターも一時的に閉鎖されました。

 それを機会に私は
読売を辞める決心をしました。

 だから震災後は森原ダ
ンス教室の上級のグループレッスンと個人レッスンのみになった訳です。

 個人レッスンの前には必ずストレッチ体操をし、私なりに真剣にダンスに向かったと思っています。



 でも~それなりに色んな事にも直面しました。

 検定は思うところがあって1級を取った所でそれ以上は取りませんでしたけれど、先生も3人変わり、

  教室のパーティでミックスデモにも何度か出させて頂き ました。

 只その時はソロデモは自分で納得の行く状態になってから、とは心に

 決めていましたが…



  私は本当にダンスが好きで好きでたまりませんでしたが、寄る年波には勝てません。

 何時の日か
歳と共に足腰が弱り、踊れなくなる日が来るであろう、とは感じていました。
                          


  その時が来たとしたら…と怯えの様なものを感じていたのですね。

 
そうだ!
  その時はパソコンで全国の人達とお友達になり、メールでお話が出来る様になろう!と

           決心したのが1999年の4月なんです。
             

      

モチロン60歳を過ぎていました。


ダンスも好でしたけれど、パソコンにもハマりました。

                  結構メール友達も出来ました。

 でも~メル友もチャット友も、私の望むモノばかりでなく、色んな弊害がある事が判りました。
     

  あるダンス関係のメル友で、JADA関係の教室に行っている人がいらっしゃったのですが、たまたま

 私も
JADAの世界も見てみたいと思っていた矢先だったので、キッパリ森原教室を辞めることにして、

 その人の習っている所に変わる事にしました。 

 でも悲しいかな、そこは私の居場所ではありませんでした。


 
JADAの世界も、決まったリーダーさんが居てこそ発揮出来るのでしょうけれど、私にはその様な

 人は居ません。


 そこを
辞めようと決心した時は、ついに私もダンスと決別する日が来たのだと悟りました。
 
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